広島の税理士、真鍋輝彦の勝手にblog。@広島のインターネット税理士事務所

広島の税理士、真鍋輝彦が語る勝手にblog。 辛口コメントあり、写真あり、とにかく思いつき。

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原爆の日

今日は65回目の原爆の日。
久々に、8月6日原爆の日に、慰霊碑を参拝した。原爆の日


以前にも述べたが、この原爆で祖母と叔父が亡くなった。祖母は今でも行方がわからない。
父は、爆心地から1.5キロの場所で被爆し奇跡的に助かったが、34年前原爆の影響と思われる病で47歳の若さで他界した。
父の姉も、爆心地から2キロの場所で被爆し、原爆の後遺症に悩みながら20年近く前に他界した。
また、母は原爆投下の翌日爆心地近くに行き、残留放射能を浴びている。

僕は、正に原爆一家と言っても過言ではない。
しかし、父からも母からも原爆の悲惨さはほとんど聴いた事がない。
ただ父からは、酒が入ったときに涙ながらに叔父が亡くなったときのこと、自分が大怪我をしたときのこと、祖母を見つけるために何十日も街を捜し歩いたこと等を聴かされてくれた程度だ。
両親とも「思い出したくもない出来事」と捉えていたようで、そのせいか僕も肉親を痛めつけた原爆を憎みながらも、避けている。
だから、8月6日に原爆慰霊碑を参拝したのはほんの数える程度。

逃げていたのでは、何の解決にもならないと、一念発起して参拝した。
慰霊碑の前で手を合わせるだけで、体中が熱くなり涙があふれ出てきた。
別に悲しいわけではない。
目頭を熱くさせるものは、悔しさなのかそれとも憎しみなのか。

今日の秋葉市長の平和宣言
同調する部分、異論がある部分、いろいろあるが意見は控える。

とにかく平和であってほしい一念だ。
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旧市民球場

昨日は、終日税理士会の研修があった。
講師は、青山学院大学の三木義一先生。
以前は立命館大学だったが、僕の知らないうちに変わられていた。
以前にも書いたが、中国税理士会の研修会に一番最初に三木先生を呼んだのは、何を隠そうこの僕だ。
何の伝手もなく、メールで講師依頼をしたのがもう6年以上になる。
相変わらず、三木先生の話は面白いし、ためになる。

さて、研修会の帰りに旧市民球場に立ち寄った。
ほとんど取り壊しが決まった旧市民球場。
スタンドから、グラウンドを見物した。
                    旧球場

今と同じくらい弱かった昭和40年代のカープと、昭和50年の初優勝のカープ。
そして、昭和50年代からの黄金期のカープ。
それぞれを思い出しながら感慨に耽った。

ところで現在旧市民球場には、平和公園に手向けられた数多くの折鶴が展示されていた。
被爆者の遺族、そして被爆二世の僕としては手向けられた折鶴はありがたい。
しかし、なぜこの跡地に折鶴公園なのだろう?
この日、人は全然いなかった。
入り口に何人見学に来たかノートに記されていたが、ほんの数えるほどしか入場していない。
もし、折鶴公園など造っても、広島市が目標とする年間集客数150万人はおろか、せいぜい修学旅行生を主体とした20万人が限度だろう。
修学旅行で思い出したことがあるが、今年函館のあるペンションで出会った、名古屋からの旅行者である若い女の子の言葉。
「修学旅行で行ったが、広島は暗い怖いイメージしかない。もう行きたくない。」
僕はこの言葉に、愕然としてしまった。
僕の生まれ育った、この大好きな広島が、他県の人たちからみれば、こんなイメージだったのだ。
この言葉、秋葉市長はどう捉えるのだろう。
あまりにも「平和、原爆、被爆者」というあまりに、「広島」を「ヒロシマ」と同一視して、怖いイメージを植えつけている。
もうすぐ原爆記念日。秋葉市長は何を語るのだろう。
確かに彼はいいことを言う。自分の信念もあるし、決して役人の書いた原稿など読んでいないだろう。
しかし、被爆者の遺族であり被爆二世の僕から言わせれば、所詮あなたはよそ者だ。

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